言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

 雑用にひとくぎりついたかと思えば、つぎのものが舞い込んできて、なかなか集中して時間がとれん……。そんななか、これを読んでいるんだけど、「2 意味の全盛期」の手前まで読了。いろんなところで絶賛されている文献なんだけど、ほんとうに読みやすい。ハッキングの問いの明記とそれに向けた議論のまとめかたはとてもさわやか。その分、切り落としたことはたくさんあるということについてもちゃんと理由づけ(言い訳)を書いてくれています。
追記
 読了。まとめは最後の章の図でだいたいわかるようになった(笑)。メモとしては、「言語哲学」における「対象」と「精神分析」における「対象」における位置づけがどうなっているのか、ということ。観念の時代の「対象」と、一昔前のアメリカにおける精神分析の「対象」ってけっこう意味が似てるなとか、対象関係論なんかは、観念における「対象」と外的現実の「対象」のすりあわせをおこなおうとしてるだけど、「言語哲学」だと「公的なもの」と「私的なもの」って完全に区切られて、説明としてはすりあわせられないのかな、とか。そんなことを思った。たぶん、そのうち忘れるんで、いまのうちにメモっとこう。