ルマンつづく

ルーマン/社会の理論の革命

ルーマン/社会の理論の革命

 ルマンさん(というか長岡センセ)、おひさしぶりです。

第九章 コミュニケーション

    • コミュニケーションという出来事は行為じゃないよ
    • コミュニケーションは、諸選択に選択的に反応する過程、したがって選択性を強化する過程(282)デス。
    • コミュニケーションは主体間におけるあるものの伝送ではないよ。だから、間主観性とかは没概念さ。
  • どういうふうにおこるの?(285〜)
    • 複数の心的システムそれぞれが向ける注意の輻輳という前提のもとでおこなわれる意味の処理だよ。

「コミュニケーションは、それが自分ではじめて構成する顕在的な指示地平からあるものを取り出し、他のものを脇にのける。コミュニケーションは、選択の処理である。」個々のコミュニケーションは、個々の意識(心的)システムの場合と同様に、意味指示されているものからこの選択をするのであり、コミュニケーションの続行はこの意味処理、すなわち、「顕在性と可能性という意味構成的な差異の新たな形成」を繰り返す。(286)

    • コミュニケーションは、情報/伝達を区別する統一体としての理解(誤解)によってなされるよ。
    • コミュニケーションは事後的に理解(誤解)されるよ。
    • そして、コミュニケーションが接続するかぎり、理解が存在していると想定されるよ
  • コミュニケーションと行為
    • コミュニケーションシステムの観察のために、観察可能な行為にコミュニケーションを帰属させるよ。
    • その結果、コミュニケーションは行為をつうじて、単純な出来事として時点に固定(縮減)されるようになるよ。
  • 社会システムは何からなるか?
    • コミュニケーションから。でも、それはコミュニケーションの行為としての帰属によって成り立つよ。

 馬場センセのルマン本では、「情報/伝達」の区別が「コンスタティブ/パフォーマティブ」の区別とほとんど同じに扱われてたような、遠い記憶がある。この本だと、「情報/伝達」という観察である=理解(誤解)について詳しく書いてあって勉強になる。