権力のよみかた
- 作者: 萱野稔人
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
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序論の方は萱野センセが国家論や暴力論で考えてきたこと(『国家とはなにか』,カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜))をざっくりまとめつつ(とはいえ前作は読んでないので、正確にはわからんのだ)、権力についての導入をしてくれてる。
「理論」の章の方は、権力と知と言説(言表)の関係について詳しく説明してくれる。たとえば、
知の実践と権力の実践は、どちらか一方が他方に還元されるような関係にはない。この還元不可能性は、ただし、言説的実践と非言説的実践という区別に由来するものではない。関係をくみたてる力の実践と、その力の関係を形態へと統合する実践、こうした違いが、権力と知をたがいに還元不可能なものにするのである。(179)
あと、「権力の非人称さ」だとか、フーコーが「言説分析」という言葉で「言語分析」(=言語哲学?)とちがったものを目指そうとしていたという、たとえば次のような指摘や説明もわかりやすくって
フーコーはけっして言説の分析において可能世界なるものを想定しない。(184)
ほかにも、権力編成の有時間性と個々の事実性に伴う規則の限定性についての文章もタメになるものだなあ。
あらゆる実践にたいして、いつでもどこでも一様に適用されるような一般法則のモデル、そういったモデルは言説の編成にはあてはまらないのだ。編成の規則とは、実践がおこなわれるまえにすでにその遂行のされ方を決定しているような構築の法則ではない。そうではなく、実践の遂行そのもののなかに事実的に作用している諸条件のことである。(206)
ほかの章については、これから。