修辞について

  • 濫喩って? catachresis

調べてみたら、こんな感じ。
http://www.geocities.jp/balloon_rhetoric/example/catachresis.html
http://uhctas.at.infoseek.co.jp/what.html


以下、ふくしゅうのため。
ラカン派では隠喩と換喩の違いはでかいらしい。
中野先生の『貨幣と精神』より


隠喩

「隠喩が起こるということは、シニフィアンが自己の指示するシニフィアンを決定するということ、つまり自己のシニフィエを産み出すーーシニフィアンが指示する以前に、シニフィエが分節されていることはありえないのだからーーということである。したがって、隠喩とは次のようなものである。……ただし、この指示関係、意味作用(signification)、ひいてはシニフィエそのものはシニフィアンによって『無』から創造される(指示関係のないところに指示関係が生まれる)のだから、隠喩は換喩と違って創造的な効果を持っている。」(71)


換喩

「これに対し換喩とは、一般的にはあるシニフィアンを他のシニフィアンで置き換えることに相当する。例えば、『帆』というシニフィアンで『船』というシニフィアンを置き換えるようにである。……このことは、換喩を延長することによっては指示対象にはたどり着けない、ということを意味する。したがって換喩とは、ある意味ではシニフィアンの単なる無限連鎖であると言えよう。」(71-2)


まとめ

「これらの定式化によって、隠喩はS/sという分数の『横線』を越えるーー意味作用を産み出すーーという意味で真に創造的なものであり、換喩はどこまでいっても『横線』をいっこうに越えない、創造的でないであることが明確に示される。」(72-3)