思想地図 マンガのグローバリゼーション
- 作者: 東浩紀,北田暁大
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2008/04/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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さてさて、僕は思想地図の前半のシンポを読んだあとに、この論文へととびました。なので、この論文を読んでいるときは、シンポの内容があたまのなかに残っていたわけです。そこで、このシンポで論点となっていた「メンバーシップ」についての問いは、この論文でも中心的な問いであるような気がしました。
なぜならば、それは「<日本で>マンガを読む/書く僕たち」とグローバル化するなかで「<日本以外で>マンガを読む/書く彼ら」、さらには、それぞれ(日本と日本以外)のマンガにおける「表現倫理」という対比はまさにメンバーシップという問いとほとんど重なっている(ように思える)からです。
とはいえ、国家論ではメンバー・主権・権利といったものの帰属先やら正統性がいちおう明確である一方で、マンガの場合は、メンバーシップの確定は、最大では世界市場における消費者と生産者となり、かなり困難。さらには、表現倫理の正統性も「どのように決定されるべきであるのか」については誰もが同意するような回答があるわけではないように思えるところもまた、ムズカシイところであり、だからこそ、論点としては魅力的なところなんじゃないかと思います。
具体的には、ここで伊藤さんが批判されているのは、大塚さんの提唱する「日本的マンガの表現倫理」に固執することは、世界中で日本のマンガが受け入れられてきた背景(=女の子や弱い男の子といった読者の欲望)を否定してしまう非寛容であり、非生産的なものではないか、という点だと思いますが、この一見まっとうなメタ批判もまた非寛容的で、ベタな批判になりうる可能性もまたあるのかもしれない(思想地図51ページ当たりの議論ですね)。といっても、ここでの問いが「グローバル化のなかでいかにしてジャパニメーションを勝たせるか」というものであれば、伊藤さんの提案する表現倫理のほうが、妥当な回答であるかもしれませんが。
ここまでグダグダと勝手なことを書いてきたけれど、「テヅカイズデッド」をまだ読んでいない自分には、ここで言われているキャラというものがわかったようでわからないので、とりあえずはツンドクだった「テズカイズ〜」に手を伸ばすこととします……。