言語哲学大全2はつづくよ
- 作者: 飯田隆
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1989/10/30
- メディア: 単行本
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- 意味はどうやってきまる?
→ でも、これがクワインの攻撃対象となるよ。
- 経験主義のふたつドグマ:クワイン曰く、
現代の経験主義は、ふたつのドグマによって大きく条件づけられている。ひとつは、分析的である真理、すなわち、事実とは独立であって意味に基づく真理と、綜合的である真理、すなわち、事実に基づく真理とのあいだに、ある根本的な分割があるという信念である。もうひとつのドグマは、還元主義である。すなわち、有意味な言明はどれも、直接的経験を指す名辞からの何らかの論理的構成物と同値であるという信念である。(194)
- でも、ひとつめのドグマについての最近の評価は手厳しいらしい。
パトナムなんか、「クワインは同義性をどう定義したらいいかわかんない」って言ってるようなもんだって言ってる。
- 経験主義のふたつのドグマがもたらす哲学的教訓とは?
- 「なんで個別的言明に関して、その真理性の言語的要因と事実的要因とについて語ることがナンセンスなのか」(=解離不可能性のテーゼ)
- また分析的真理をプラトニズムでなく、経験から導きだすことができるようになった。
「独身者は結婚していない」が真であるのは何によってかという問いに対して、この言明が分析的真理を表現しているからと答えることは、その限りで正しい。だが、この言明が分析的であるがゆえに真であるという信念は、世界についてのある信念――独身者に関する普遍的法則は存在しない――と切り離すことができない。よって、解離不可能性のテーゼ(A)はが分析的真理の非存在の主張(C)を含意するのではないか、という先の問いには、否定的に答えることができると思われる。(238)
自分で書いてて、意味わからんくなってきた(笑)。最後に、飯田センセがワンパラグラフ全部引用するだけの価値があるというクワインの文章を。
地理や歴史といったごく表面的な事柄から、原子物理学、さらには純粋数学や論理に属するきわめて深遠な法則に至るまで、われわれのいわゆる知識や信念の総体は、周辺に沿ってのみ経験と接する人工の構築物である。言い方を変えれば、科学全体は、その境界条件が経験である力の場にようなものである。周辺部での経験との衝突は、場の内部での再調整を引き起こす。いくつかの言明に関して、真理値が再配分されなければならない。ある言明の再評価は、言明間の論理的相互連関のゆえに、他の言明の再評価を伴う――論理法則は、それ自身、体系のなかの更なる言明、場の更なる要素に過ぎない。ひとつの言明が再評価されたならば、他の言明をも再評価しなければならない。そうした言明は、はじめの言明と論理的に連関している言明であるかもしれないし、論理的連関そのものについての言明かもしれない。だが、場全体は、その境界条件、すなわち経験によっては、きわめて不十分にしか決定されないので、対立するような経験がひとつでも生じたときに、どの言明を再評価すべきかについては広い選択の幅がある。どんな特定の経験も、場の内部の特定の言明と結び付けられるということはない。特定の経験は、場全体の均衡についての考慮という間接的な仕方でのみ、特定の言明と結び付くのである。(240)