言語哲学大全2

言語哲学大全2 意味と様相(上)

言語哲学大全2 意味と様相(上)

序章 アリストテレスからフレーゲまで

  • この章は「必然性の概念史」について書かれているよ。

1.アリストテレスが問うたもの
■ 形而上学的必然性:存在論的問い:真理がかかわるものがどうあるか、どのような存在様式をもつかを問う

 ものの本質とは、認識者がもっている言語的枠組みなり理論的枠組みによって決まるものではなく、認識者とは独立のものである。……つまり、ここで問題となっているのは、言語に由来するような必然性ではない。(6)

2.デカルトが問うたもの
■ 確実性:認識論的問い:真理をどのようにして知ることができるかを問う
→ 必然性と確実性の混同問題の発生

 「私は存在する」ということは、決して必然的ではない。私が存在しなかったことは十分可能である。だが、私の存在の偶然性とは無関係に、「私は存在する」は、そのような考えを抱く者の各々にとって確実な真理である。確実な真理は、必ずしも、必然的な真理である必要はないのである。(8)

3.カントのさまざまな区別とミルの経験論
■ 分析的(私たちの認識を増大させない)/総合的(私たちの認識を増大させる)
アプリオリで総合的な判断ができるならば、経験論からの攻撃にたちうちできる:これが数学の領域
■ ミルは数学も経験的なものだと主張したよ。でも、すべてを経験論におとしこむことは、論になれるのか?

4.フレーゲの問い:プラトニスト的な形而上学的問い

 フレーゲによるならば、ある命題の証明は、命題間の関係(「諸真理」のあいだの依存関係」)を辿ることによって与えられるものであるが、この命題間の関係は、われわれの認識とは独立に、それ自体として客観的に決まっているものである。(27-8)

→ でもフレーゲは、「論理的真理の必然性は何に由来するのか」という問いにはまったくふれないよ。思考それ自体が論理だから思考している時点で論理的真理を前提にしてると考えてるのかもしれない。
■ ここで大事なのは、「論理法則が真であることの根拠/われわれが論理法則を真理とみなすことの根拠」をちゃんと区別することだよ。
→ でも、必然性の空間を前提するだけじゃ、それを説明することはできない。そこで、論理実証主義たちが出てきたワケです。このとき、必然性の問題が、言語をめぐる問題と連結することになったんですよ。