読む哲学事典 「愛と暴力」

読む哲学事典 (講談社現代新書)

読む哲学事典 (講談社現代新書)

買ったはずの「カラ兄」2巻が見つからないので、手元にあったこいつとともに入浴。でおもしろかったろころを引用すると、

愛と暴力がひそかに底流においてつながっているのであるから、暴力に手を汚すことを恐れて(ひとを傷つけることを避けて)、純粋な愛を蒸留しようとしても、カスのようなものしか残らないのである。我々は愛の表現の中に適度に辛辣な攻撃性の薬味を加え、逆に暴力と復讐には、うまくウィットと許しを混ぜ合わせて、いつしかそれが本当の愛に変わるのを待つべきなのである。

この「待つということ」はコミュニケーションと理解の時間的なずれについて言っていることなんだけど、そこんとこ、引用すると

エスのメッセージは、すぐに理解されればよかったというものではない。なぜなら、コミュニケーションに不可避に織り込まれなければならない、この理解と時間のずれの自覚こそが、イエスの愛のメッセージの眼目だからである。我々は、自ら身をもってコミュニケーションのこの挫折と復活のドラマを経験することなしに、そのメッセージを真に理解することはできないのである。

というわけで、せっかちさんの理解ではなく、コミュニケーションの挫折とそれからの復活という事後性・再帰的なコミュニケーション理解についても示唆。とはいえ、日頃、コミュニケーションに挫折しまくってる人間は、せっかちになってしまいがち(笑)