弱くある自由

弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術

弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術

 天田本つながりで。あいかわらず、独特の文章でリズムに乗るまではよみづらい。立岩山の自己決定についての考え方は次の文章に要約されてて、ここはわかりやすい。

「こうして、自己決定を否定することができないと思う。と同時に、ある種の自己決定に対してそれをそのまま受け入れることをためらわせるものがある。そして、そのためらいは、その人の決定が、存在に破壊的に作用する装置に導かれ、その存在を否定するものとしてあることに対してのものである。だから両者は同じところから発している。/その意味で、自己決定を認めることとある決定を疑問に思うこととは矛盾しない。しかし、同時に、両者は同じところから発しているから、いずれをとるかを決めることが難しくなる。けれども、ここで自己決定自体が否定されているのではなかった。ある決定に際して作動している力、それによって生じるであろう結果、これが問題にされている。」(40)


ちなみに、こういう例を出すのって立岩山らしいな(笑)

「今ある選択肢の中から選ばざるを得なかった人に、既に選んだ以上、文句を言ってはならないと言う者がいる。メニューに不味いそばと不味いうどんしかないのに(そしてもっとまともなものを出せる可能性がないのではないのに)、どちらを選んでもそれは自己責任だと言うのと同じである。これに対しては、それは不当だと、もっとましな食べ物を出せと言えば良い。」(30)