閉じえぬ言及の環

「社会」への知/現代社会学の理論と方法〈上〉理論知の現在

「社会」への知/現代社会学の理論と方法〈上〉理論知の現在

 このなかに入っている第5章。いままでコピーしてきた論文を整理しつつ、ちらちら読んだりしてるとけっこう楽しいもんです。片づけのときに、懐かしい写真やマンガをみつけてしまったときのような感じに似てるなあ。そんで気になったところをチェック。

  • 行為が他の行為との関係性によってしか行為たりえない
    • クワイン全体論に似てるかも。まったく同じことを言っているのだとしたら、システムという用語はたしかにいらんかもね。

 要するに、行為ーコミュニケーションは行為ーコミュニケーションによって行為ーコミュニケーションたりうる。その意味で行為ーコミュニケーションの産出はautopoieticだが、それは「行為ーコミュニケーションがある」ということにつきている。「システムである」とさらにつけくわえる必然性はない。(115)

 ルーマンは行為が観察の時点で確定されるとして、行為とコミュニケーションを区別した。けれども、本当は行為はつねに確定されないのではなかろうか。むしろ行為は確定的に存在するとすることが、確定されるしくみや確定することの機能の宛先として、「コミュニケーションシステム」を(実体性を代補した形で)召還しているのではないか。(116)

 この論文への反論(だったような気がする)が、大著『ルーマン/社会の理論の革命』のなかにあった気がするがそこはちゃんと読んでなかったんだよな……。