「慰安婦」問題とは何だったのか


とても勉強になった。たとえば、

「メディアの関心は韓国の元『慰安婦』に集中しており、償い事業の実施を含めてフィリピンの『慰安婦』問題はほとんど放送されなかった。日本における『慰安婦』問題は、『韓国の慰安婦問題』に終始したと言っても過言ではなかった。」(48)

 恥ずかしながら、まさに韓国とのことばかりだと。ほかにも、国によって、アジア女性基金の償いに対する受け取り方がさまざまだったり。


 さらに、『慰安婦』問題の情報・知識についてだけ勉強になるだけでなく、実証的な立場にもとづいてきわめて冷静に議論をしていて、法的責任論/道義的責任論について議論のとか(ちょっとデリダの法/正義の議論みたい)

「しかし、『法的責任は道義的責任に優る』という価値序列を想定することには根本的な問題がある。『被害者が求めているのは日本政府が法的責任を認めることであって、道義的責任というのはごまかしだ』という主張にはさらには大きな問題がある。それは、(1)被害者自身の思いと利益、(2)被害者が生存中に実現できる現実的な要求、という二重の意味で問題である。……問題は、『真摯な、心のこもった、国家として正式の謝罪』が『法的責任を認める政府の謝罪』と同一視されたことにある。」(163-4)

「興味深いのは、ドイツは戦争責任をはたしているのに日本ははたしていない、という議論は広範に受け入れられているにもかかわらず、ドイツがはたしてきたのはまさに道義的責任であって、法的責任ではない、という事実がほとんど知られていないことである。」(178)

 とか、人間の尊厳という倫理への過剰さについて、だとか、とても触発されることの多い新書。