意味学派の認識論?
意味学派って基本的には「事実→意味づけ(価値)」っていう反実在論で議論されてきてるんでしょうね。『命題コレクション』だともろにそんな感じで紹介されてたし。でも、浜先生の「羅生門」論文なんかでは、シュッツは同一説*1をとるということで、反ー反実在論的な立場に立っているとも解釈できる。もしそうだとしたら、意味学派の認識論がどうだったかちゃんと確認する必要はあるかも。
さらに、日社のシンポで佐藤先生がヘンペルの名前とか出してマートンも分析哲学の議論を踏まえていたと言ってたけど、マートン読んでたらデュエムまで出てきてるからにはマートン自身も「事実/価値」という単純な二項対立はうまくいかないことはわかっていたはずなので、別の認識論を考えていたはずだけど、そのへんは不勉強でよくわかんない。(準拠集団論とかトマスの公理とかは関係してるのかもしれんけど。)
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*1:同一説によれば、知覚された対象が現実の対象であり、知覚と独立に現実の対象が存在するわけではない。したがって、もはや近似すべき現実というものは存在しないし、対象が 「本当は」なんであるかを決定しうる特権的な観察者も存在しないのである。